「いわき震災伝承みらい館」で。

明日で東日本大震災から10年の節目を迎えます。
テレビなどのメディアもこの時期だけは「アリバイ的に」震災の特集を組んでいます。
ついこの間も、菅首相が福島に来て「福島の復興なくして東北の復興なし。しいては日本の復興なし。」なんてことをコメントしていましたが、当の県民からすれば、「シラケドリ飛んで行く南の空へ~ミジメミジメ・・・・・。」的な感じもします。
復興の意味もよく考えずに、口に連呼すれば良いと考えている先生方がまぁ多いこと・・・。(´・_・`)
明日は諸般の事情でイベント等にも参加できないので、時間が取れた今日、できたばかりの「いわき震災伝承みらい館」を覗いてきました。
さすがに人は多かったですね。

場所は平の薄磯です。
このあたりも、かつての街並みを忘れてしまうような変わり映えです。
防災緑地でほぼ全てのエリアが占められています。

入場料はかかりませんが、コロナ禍の影響か氏名・電話番号の記入を求められます。

館内には震災時の被災状況を伝える写真パネルが掲示されています。
各地区ごとに復旧状況まで分かりやすく並べられています。


10年前を思い出しますね~。
ここで仕事をしていた時のことを、今でも鮮明に覚えています。
よくアメリカ人が「ケネディが暗殺された日、自分がどこで何をしていた現在でも覚えている。」というのと一緒ですかね。(´・Д・)」


当時の苦労を語りべの方々が映像で説明してくれます。




市立豊間中学校のピアノと黒板も展示されています。
よく修復できましたね~。





全てが3月11日で止まっています。

時計は津波襲来時で時を止めています。



中央の大モニターは、繰り返し各地区の津波映像を流しています。
かなりの人が亡くなっているので、かなり辛いものがありますが、忘れないためにもしっかりと目を向けなければなりません。

そして人災事故であった「福島第一原子力発電所爆発事故。」
コイツのデブリを全て除去してこそ「復興!」なんてことを口にできるのだ。
道義的責任も未だに果たさず、許されると思っているのか?(♯`∧´)


ああ、思い出すな。毎日給水頑張ったよな~。

2階の展望デッキからは、穏やかな海が一望できます。
今でもこの海が荒れ狂ってすべてを飲み込んだとは思えないですが。


幸せの黄色いハンカチが海風にたなびいていました。

明日で10年目です。
10回目の黙祷ですね。
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「7年目の3.11」と2.2.6事件を想う。

今年で7年目を迎えた「3.11」だったわけですが・・・・。
「もう、だめだ、この国・・・・・。」ってな感じです。(。´・(ェ)・)
本来は喪に服すべき日なのでしょうが、国会はそれどころではないようです。
一体何をやっているんでしょう?
心の底から怒りが沸々と湧き上がってきます。
本当に政治家だけは、三流以下の集合体であるとしか言えませんね。
国家公務員も「忖度第一主義」ときています。(「・ω・)「ガオー
昔だったら、こんな政情下において、何が起こっただろうか・・・・と一人勝手な回想に耽ってしまいます。

テレビでは、7年前の惨状が再放送されていました。
思い出すな~。
あの時、どこで何をしていたのかはっきりと覚えていますよ。
おそらく、生涯忘れないだろうな・・・・・・。


知っている顔ぶれもチラホラ出ていました。
みんな必死だったよね。(ちなみに、いわき市の映像です。)

「久之浜町」の火災の映像も・・・・・・・。
この場に確かに自分がいたんだよな・・・・・・・・。何をどうすればいいのか皆目分からなかった・・・。(´・_・`)


あれから7年目の「14時46分」を迎えました。

政府や行政は、ムキになって「復興・復旧」の実績を前面に主張しますが、実態とは大きくかけ離れているのは相変わらずです。
7年目を迎えた被災者のコメントが全てを語っていました。
「道路ができたところで、どうして復興達成といえるのだろうか。」
「公営住宅ができたからといって、衣食住は全て整ったと言えるのだろうか。」
「目に見えるもの以上に大事なものを失ってしまった被災者は何を求めているのだろうか。」
一から十までマニュアルに沿った事業しかできない役人には、遠く届かない心の叫びです。(っω・`。)

「被災者に寄り添った行政を目指す!」の初心はどこへ?


こんな中、自分は歴史的クーデター事件と言われる「2.2.6事件」を思い出します。
時代背景がまさに現在と瓜二つと思えてないりません。
時は昭和初期、金融恐慌により経済が疲弊する中、相次ぐ冷害によって貧しい東北地方は困窮の極みといえる生活を余儀なくされていました。
そんな中、農家の働き手である長男は徴兵され大陸侵攻の「捨て駒」として奪われ、娘は「人身売買」され残された者は、大根をかじって飢えを耐える・・・・そんな毎日でした。
そういった情勢の中、大財閥資本は私的利潤の追求に躍起になり、政治家はこれと結託し自らの利益のみを追求する日々。
これに対し、「皇道派青年将校」たちは、昭和維新決行により、天皇陛下を中心とした真の民主主義国家を建設すべく立ち上がりました。
そして、「尊皇斬奸」を合言葉に、日本の中枢に巣食う寄生虫の排除に武力をもって立ち上がりました。
結果として、昭和天皇の怒りを買い、この決起は失敗に終わったわけですが、彼らの心情は全くもって自分のそれと同一に感じることがあります。
もっとも、亡くなられた遺族の心情も察するにありますが、それ以上に彼らの国を想う気持ちは重かったと感じます。

彼らが目指していた国の現状が「森友忖度」です。(´;ω;`)
彼らの御霊はどう思うでしょうか。

敬愛する「磯部浅一」一等主計です。
もし生きておられたらこう言ったに違いないです。
「何という失政であるのか!君側の寄生虫を直ちに撃滅せよ!」ってね。

安藤大尉もこんな世の中になるとは、よもや思ってもいなかったでしょうな。

栗原中尉も「無念極まる!」と叫びつつけているに違いない。

温情のないデタラメな政治を続けると、かつては「天誅!」の影が常に潜んでいました。(。´・(ェ)・)
今の世の中は、もちろんそういったことは起こるべくもありません。
2.2.6事件自体も、未だに謎に満ちている部分もありますし、将校達がとった行動に対しては、「善し悪し」はっきりと意見が分かれるでしょう。
しかし、思うのは、この国は「平和主義・民主主義」を装ってはいるが、政治の体質は、戦前と何ら変わりがないということです。
本当の「民主主義」とはどういった形をいうのでしょうか?(´・_・`)
7年目の3.11を迎えて、歴史に学ぶ点は多々あると改めて感じてしまうのでした。
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7年目を迎えた「国道6号開通エリア」の実態はどうなのか?
まもなく震災から7年を迎えます。
そろそろ、各マスメディアが恒例の特番を組み始める時期ですね。
「復興のあゆみ」の特集ばかりでしょうが、こんな事実も伝えるべきではないでしょうか?
福島県浜通り地方の大動脈である「国道6号」。
福島第一原発事故により、長らく分断されていましたが、つい近年開通させてしまいました。
このエリアの実態はどのようなものであるのか?(´・_・`)
目を背けたくなりますが、これは紛れもない事実。
車両が横行できる環境ではありません。
福島県民、特に浜通り地方の人間は、常にこういったものと共存していく運命となっています。
一般公衆被曝量の20倍の数値です。(´;ω;`)
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驕れる平家は久しからずだ!

地方の新聞というのは、その地方ごとの特色・特性があり、当然話題も異なるため、メインの記事というのはまばらなわけですが、「福島」では、相変わらず(?)このような記事がトップとなります。
でもこれは、当たり前と言えば当たり前。
まだ何にも終息していないのだから。(・Д・)ノ
都会の方では分からないだろうな。
「東京電力のゴミ」が確認できたとの記事です。(。>ω<。)ノ
「ゴミはゴミ箱へ」と言いたいところですが、やっとゴミのかけらを見つけたという話。
これから取り出す方法を考えるというが・・・ガンダムでもない限り無理じゃね?今の技術じゃ?

まぁ無残な残骸だこと。。。。。
確認に要するだけで7年もの歳月がかかっています。(´・Д・)」
このデブリは、今でも高線量を放ち続けているわけですから、何が「風評払拭」なのか呆れてものも言えませんね。(○´・Д・`)ノ
こんなのが脇に転がっているのに、富岡や浪江の住民を帰還させていいのでしょうか?
何が安心なんだろうね~?

またまたモノを知らない「おバカな政治家さん」がイカレタ発言をしています。(・Д・)ノ
人体への許容年間放射線量を上げようとしています。(´・Д・)」
科学的な知見がしっかりとしていて、よく理解した上での話であれば別なわけですが、よく分からない状態のよく分からないモノに対する考え方が根本的に誤っています。
「毎時0.23マイクロシーベルト(年間1ミリシーベルトに係る数値)の数値をもっと上げても問題ないんじゃね?。」
何を根拠にそのような軽はずみな発言ができるんでしょうか。
これでよく、「日本の基準は世界一厳しい。」なんてこと言えるもんだと呆れてものが言えませんね。
そもそも【年間1ミリシーベルト】の意味を理解しているんでしょうか?(´・Д・)」
ICRPははっきり言って根拠なくこの数値を示しています。
それに倣って決定した、元々なんの意味もない数値なのですが、【毎時0.23マイクロシーベルト】の算出法も、日本政府は独自のねじ曲がった解釈を根拠に、国民を欺き続けているのが実情です。
※ 年間1ミリシーベルトの算出は、全世界統一基準であり、ICRPの基準数値(毎時0.11マイクロシーベルト)に自然放射線量(毎時0.07マイクロシーベルト)を加算した数値、すなわち(毎時0.18マイクロシーベルト)が正しい。
従って、日本政府の「年間1ミリシーベルトは、毎時0.23マイクロシーベルトである。」というのは、全くもってインチキな算出法であり、このような解釈をしているのは日本国ただ一国である。
ただ、この世界基準を当てはめてしまうと、福島には人が誰一人住めない状態となることを恐れた政府は、何の科学的根拠もない独自の計算を編み出し、「安心・安全」と声高らかに宣言しているのですね~。
まぁ、気にしない人には関係ない話ですが、問題なのは、政府や行政が安心でも安全でもないものを、さも安心・安全であるかの如くプロパガンダを続けていることです。
いつまでも国民を騙せるとでも思っているのかな?
いい加減にして欲しいもんです。(´・Д・)」
「驕れる平家は、久しからず。ただ春の夜の夢の如し。」
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福島地裁の判決に「日本人なら当然だ!」。

ここ数年にわたって、全国各地で福島第一原発事故の被害者の会による、国と東電に対しての訴訟が起こっています。
これまで、前橋や千葉で訴訟が起こされ、つい先日、福島地裁でも事故責任の訴訟判決が下されました。
全国ニュースでも話題になっていましたね。
判決は、「国及び東電は、大津波を予見することが可能であったことから、その予見可能性はこれを認め、必要な措置をとるべきところを、不合理にも放置した。よって、全面的に責任があったものと認められる。」・・・といった趣旨です。原告団の全面勝訴です。

この前の、前橋地裁では、国の責任のみが否定されましたが、福島地裁は「明らかに国に瑕疵が認められた。」との判断。
詳しくは新聞に掲載されていますので、そちらをご覧になれば理解できますね。


まぁ、個人的な感想から言えば、「当たり前の判決が、当たり前に下されただけ。」ですね。

問題は、”賠償額”や”賠償の対象”ではなく、「責任はどこにあったのか?」という部分です。
「自然災害は予見できない。」は最早通用しなくなった点が、今後の各種裁判に対する影響も含めて、大いに評価できますね。
この国は、常に自然災害の驚異にさらされています。
ある程度の被害は避けることはできません。
しかし、一番の問題なのは、「被害を受けた結果、国家存亡の危機にさらされるものは、存在してはいけない。」ということではないでしょうか。


今回の裁判が、他の地裁と大きく異なるのが、この地裁の裁判官・・・・自分の足で現場を調査し、係る資料と自身の目と耳で得た情報を元に判決に至っていることですね。
正義の裁判官とは、こういった裁判官のことをいうのかな?
国や東電に高額で雇われた、屁理屈弁護士の屁理屈理論で騙されてしまう裁判官がいるわけですよ。

今現在、人間に対する責任を問う裁判、いわゆる「旧:東電首脳三羽ガラス裁判」が行われています。
これへの影響も少なからずあるでしょうね。
どうなってしまうのかな。

さて、現在は衆議院議員の選挙に伴う、各政党のマイク運動が盛んですが、これについての問題提起は誰もしておりません。
自民党にとっては、一番(おそらく、森友・加計問題以上に)触れたくない事柄でしょうね。

まぁ、政治家なんていうのは、将来の展望を訴えているようで、実は日和見主義がその大半です。

明日の子供達の世界におけるビジョンなんていうものを語ることができる政治家は、どれだけいるんだろう?
現実主義を訴える政治家は、正直必要ないと思いますね。
理想を捨てた者に、どうして理想の国づくりができると思うんでしょうか。
理想を追い求めて、その理想に現実を近づけるために努力するのが政治家です。

まぁ、これは地方議員に対しても同じことが言えますね。
家の周りの道路の舗装整備の陳情や、ガードレールの設置・・・・・そんなのは、必要と判断すれば、役所が必要に応じてやりますよ。
今度の選挙では、「揺るぎない信念と哲学」をもった政治家の誕生を願いたいですね。
全国の皆さん、「原発だけは反社会的創造物」ですよ。

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