新PC・Windows 7の到着
トラブルに見舞われたMy PCは、墓場へと相成りました。
我が家にやって来た新しいPC。
ワープロ時代からの馴染みというか・・・伝統的に”富士通”を愛するので、またしても”FM7”。
OSは、初めてのWindows7です。
やはり最初は、その違いに戸惑いましたが、基本的にはXP、Vistaの改良版のようです。
そんなに慣れないことはなさそう。
容量が大幅にアップしたのですが、前作と比較して値段が2分の1。
パソコンも安くなったなぁ。
画像は比較にならないほど、鮮明になっています。
あとは、何年もってくれるか?
今まで使っていたPCは、クラッシュで逝ってしまったので、入っていたソフトやら何やらをすべて再インストール作業。(これが面倒くさい!)
基本的に、XP時代のものは、プログラムが受け付けなくなっていたので、ネット上で7用の更新プログラムを探してダウンロードする始末。
非常に疲れた。。。。。。。
それでも、何とか使えるようになりました。(えらい時間がかかったけど)
久しぶりにネット接続ですね。
(↓ ランキングに参加しています。よろしかったら、ポチッとクリックお願いします。)
我が家にやって来た新しいPC。

ワープロ時代からの馴染みというか・・・伝統的に”富士通”を愛するので、またしても”FM7”。
OSは、初めてのWindows7です。
やはり最初は、その違いに戸惑いましたが、基本的にはXP、Vistaの改良版のようです。
そんなに慣れないことはなさそう。
容量が大幅にアップしたのですが、前作と比較して値段が2分の1。
パソコンも安くなったなぁ。

画像は比較にならないほど、鮮明になっています。
あとは、何年もってくれるか?
今まで使っていたPCは、クラッシュで逝ってしまったので、入っていたソフトやら何やらをすべて再インストール作業。(これが面倒くさい!)

基本的に、XP時代のものは、プログラムが受け付けなくなっていたので、ネット上で7用の更新プログラムを探してダウンロードする始末。
非常に疲れた。。。。。。。

それでも、何とか使えるようになりました。(えらい時間がかかったけど)
久しぶりにネット接続ですね。

(↓ ランキングに参加しています。よろしかったら、ポチッとクリックお願いします。)

スポンサーサイト
のんびり会津の旅(その3・会津鶴ヶ城:大内宿)

続いて訪れたのは、会津若松城。通称”鶴ヶ城”です。
鶴ヶ城は、ちょうど今年に屋根の葺き替え工事が終ったばかりで、これまでの黒瓦から見事な赤瓦に変貌していました。

戊辰戦争時の数百発以上に及ぶ砲弾に耐えた名城ですが、現在は資料館となっています。
国指定の文化財ですが、どこかの市の城跡のように、民間に払い下げられて、住宅地になっているといったことはなく、当時の面影を後世に見事に伝えています。

城の入り口では、フレンドリーな武者姿のおっちゃんが、入場切符の確認をしていました。

天守閣から眺める若松市街地は見事な眺め。
歴史好きの自分としては、十分満喫できました。

続いて、”御薬園”へと足を伸ばしてみました。
御薬園は、松平藩主が各種薬草を栽培する薬草園として整備されてきました。
ここでは、鴨や鯉の餌付けができ、ちょっとした殿様気分に。
我が家の凸凹姉妹も夢中になっていましたよ。

ここの一角にある建物には、戊辰戦争当事の刀傷跡が今でも残っています。
縁の手すりにえぐられた跡がそうだそうです。

日付が変わり、若松市を離れ、”大内宿”に寄ってみました。
ここは、姿かたちが当事のままの茅葺集落が保存されています。
かつての宿場町でしたが、今では観光のメッカ。
多くの観光客が訪れていました。

見事なまでの茅葺集落です。
殆どの家は、飲食店や御土産物店になっていますが、実際に人が住んでいらっしゃいます。

集落の間を流れる用水路は冷たく、そして飲料用にできるかの如く澄んでいました。


この用水路では、お店の売り物である新鮮な野菜やラムネ等が冷蔵庫代わりに。
売り物だといっても凸凹姉妹は興味深々。
かっぱらいそうな勢いで見ていました。

これはおそらく、火の見櫓。
現在は、警鐘は外され、スピーカーによりその役目を果たしています。


売っているお土産品も、郷土色豊かな物ばかり。
正に江戸時代へタイムスリップです。

集落の一角には、屋根用の茅が生えていました。
さぞかしこの屋根葺を保存するのは大変なことでしょう。

せっかくなので、郷土品を食してみることに。
これは”芋餅”。
醤油ベースの味付けがあまじょっぱく、なかなかのお味でした。
都合1泊2日でしたが、会津歴史の旅を満喫してきました。
近いうちにまた来てみたいですね。

大きな地図で見る
大きな地図で見る
(↓ ランキングに参加しています。よろしかったら、ポチッとクリックお願いします。)

のんびり会津の旅(その2・白虎隊士の飯盛山)

続いて訪れたのが、”白虎隊自刃の地:飯盛山”です。
戊辰戦争に参加した少年兵、白虎隊士の墓や自刃の地がある小高い山です。
鶴ヶ城が炎上しているのを見て落城したと思い込み、自刃した話はいくつものドラマになりました。
(事実は、炎上していたのは鶴ヶ城ではなく、城下屋敷であったとのこと・・・。)

これが、観光名所”飯盛山”なのかと驚きでした。
この地を訪問するのは初めてではないのですが、ご覧の通り、参道前からして誰もいません!
会津もいわれのない風評被害に悩んでいると聞いていましたが、これはひどい。

いわき以上です。
道脇の土産やのおばちゃんが「寄ってきっせ。」と寂しそうに声をかけるので、帰りにお土産でも買って行きましょう。

(白虎隊自刃の地にて)
自刃の地には、鶴ヶ城を向いて仰ぎ見る白虎隊士の石造があります。

自刃の地からは、鶴ヶ城がある若松市内が一望できます。
今となっては、高層の建物がいくつも並び、直ぐに鶴ヶ城を見つけることはできませんでした。

これは、”さざえ堂”といいます。
二重螺旋構造のお堂で、階段が全く存在せず、時計回りに上がっていくと、なぜか時計回りに降りてくるといった不思議なお堂です。
白虎隊十九士の墓のふもとに鎮座しています。


”戸の口堰洞穴”です。説明は上の写真の看板の通りです。
戸の口周囲は、会津戦争において、激戦地であった場所ですが、この小さな穴をくぐって白虎隊士は飯盛山へ到着しました。
この後、悲劇の自刃をするわけですね。
さぁ、下のおばちゃんの店でお土産を買って、鶴ヶ城へ行って見ませう。
大きな地図で見る
(↓ ランキングに参加しています。よろしかったら、ポチッとクリックお願いします。)

のんびり会津の旅(その1・会津武家屋敷)

毎日毎日猛暑日が続きますが、子供達の夏休みもあとわずか。
もう一つくらいは思い出作り…というわけではないにしても、比較的放射線の緩い地域へ出掛けてきました。
福島県屈指の歴史の街、会津若松市へGO!

会津若松市は、福島県の中でも比較的全国区の知名度を持っています。
県の西側に位置し、猪苗代湖と磐梯山に囲まれた武士の城下町です。
自分は学生時代に日本史を専攻していたせいもありますが、会津若松市には非常に強い思い入れがあります。
自分の地元いわきは、幕末から明治維新にかけての時代、”奥羽越列藩同盟”を会津藩と結び、長州・薩摩率いる新政府軍と戦ういわば”逆賊”の地でした。
会津藩や磐城平藩は、幕府の直轄地であるいわば”親藩”で、徳川家の息が直接かかった地域でした。
そういう意味で、いわきの人間は、会津の人間に対し兄弟のような、または家臣のような感覚を持っていて、仲間意識が歴史的に強いのです。

会津若松市内は、どこもかしこも武家の街。
かつての会津藩士の名残がそこらじゅうに。
ここは、会津武家屋敷です。
会津藩家老:西郷頼母の屋敷を見事なまでに復元した屋敷になっています。

今日は、平日。観光客数としては、ポツラポツラ。
風評被害のせいでしょうかねぇ。でもおかげでゆっくり見学できました。

さすが、上級武士の館です。
今時の住宅のつくりがものすごく安っぽく感じます。
玄関では女中さんが迎え出てくれます。(人形です。)

この絵は、西郷家家人の自刃の様子を再現しています。
西軍に押し入られた際、女子供は皆自ら「足手まといになるまい。」といって自らその命を絶ちました。
その場へ西軍の軍将が入った際、その壮絶たる姿に「これが会津の武士魂か!。」と驚愕したということです。
平和な世が続いていた徳川時代でも、武士道はきっちりと子から孫へ伝えられていたんですね。


この屋敷は、実によく工夫されたつくりになっています。
まず感じたのが、この猛暑日にも関わらず、全ての部屋に風通しが十分に行きわたるよう設計されているようです。
先人は、見た目だけにとらわれない機能的な住宅作りにも富んでいたんですね。
(うちとは大違い。)

この方が、会津藩最後の藩主”松平容保(まつだいら かたもり)公”です。
私たちにとっては、会津の殿様というより、福島県の殿様的な方です。
上の写真は、京都守護職時代に天覧馬揃を指揮した際の写真らしいです。
当時の帝、孝明天皇の信頼がとにかく厚く、天皇より賜った陣羽織を身に着けて撮影されています。
激動の時代を生きた藩主。
今の激動の時代の指導者とは比較にならないぐらい、威風堂々としています。
徳川家の血を引き継ぎ、天皇の信が最も扱った武将。
「敗軍の将兵を語らず。」
今の政治家と比較すること事態がナンセンスですな。

藩主容保公は、天からいまの日本をどう見つめているのかな・・・?
大きな地図で見る
(↓ ランキングに参加しています。よろしかったら、ポチッとクリックお願いします。)
