GENTOS 閃(SG-355B)を付けてみた。

4月からは職場の異動で、南の方へ向かうことになりました。(それでもいわき市内だけど)

勤務時間がどうなるのかはまだ分からないのですが、場合によっては夜間帰宅になる可能性もあります。
そんなわけではないのですが、新しいライトを購入してみました。
”GENTOS 閃”です。
ネット上で性能が比較的よく(あまり明るすぎるのもイマイチ)、小型で安価なモノ・・・・・と贅沢品をさがしていたところ、上の品がかなり評価が高い。
実はこれ、職場で買ったものです。
定価は4000円以上のものらしいですが、2800円で購入でき、集団で購入したので、送料・手数料はロハでした。

大きさは手のひらにスッポシはまるくらいにコンパクト。
前に購入したトピークライトのように、大きく重量があるということはありません。
【仕様】 明るさ:100ルーメン
使用電池:単4型アルカリ電池×3
電池寿命:実用点灯 約10時間
フラッシュ点灯 約22時間
照射距離:約100m(最大時)
高価で明るいものはたくさんありますが、この値段でこの仕様は十分。
電池の寿命がよく気になりますが、エネループを使えば解決。
何よりも、でかすぎないのがいいね。

この商品は、自転車専用ではないのに、↑のようなパイプホルダーが付いていたり、フラッシュライトが付いていたりと、自転車装着を前提にしている部分があります。
でもこのホルダーは欠陥がありますね。(このネジ尻が異常に突き出していて・・・・)

まぁ、早速付けてみましょう。
付けた感じはこんなもの。
やっぱし、ライトは小さくてコンパクトがいいね。(ちなみに、奥にトピークライト用のブラケットも付いたまんま。暗黒街を走るときは、ダブル点灯で。)

このブラケット下の、ネジ尻がちょっと飛び出しすぎ。
これでは、なんかの際に、手袋を引っかけてしまいそうです。ブラケットは後々買い直すかもしれません。
(固定力は全く問題なし。揺らしたりタイヤをバウンドさせたりしてもびくともしない。)

どんなもんだか、夜になるのを待って照射テスト・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

はい、夜になりました。
真っ暗ですが、家の庭先を写しています。
早速ライトを照らしてみましたが・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

こりゃすごい!
ワット数でいえば、前のトピークの方が高いのに、明るさはけた違いに明るい。(写真が黄色っぽいのはカメラのせい。実際はもうちっと白色気味です。)
足元周囲も十分に照らされているので、これなら真っ暗な道でもOK。
これを2本付ければ、夜のトレイルさえも不可能ではなさそう。
今回はいい買い物をしたなと、ひとりニヤニヤしていましたが、マイワイフは「何がそんなにすごいのか?」と呆れ顔でした・・・・・。

(↓ ランキングに参加しています。よろしかったら、ポチッとクリックお願いします。)

あれから1年が過ぎた・・・3.11

あの日から1年が過ぎた。
テレビ各局も特番を組んでいた。絶対に忘れてはいけないあの惨事。
本音を言えば、思い出したくもないことばかりだったが、後世に伝えていくのが自分たちの使命。
14時46分・・・・・・・・申し訳なく生き残った者たちは、忘れてはいけない方たちへ黙祷を捧げた。
1年前のこの日の出来事、そして自分たちの動きは今でも鮮明に覚えている。
よくアメリカ人が、ケネディ大統領が暗殺された日、自分がどこで何をしていたか鮮明に今でも覚えているというが、それと一緒だ。
今、この記事を書いているのが3月12日午前1時過ぎ・・・・・ちょうどこの時間は、久ノ浜の現場で仕事をしていた。
あの時、一年後に、こうだらだらとブロ記事を書いているなんて夢にも思わなかった。
今日は一日テレビの前にいた気がする。
特に、テレビ朝日系の特番は、重いものがあった。
がれきの処理はほとんど進んでいない。
福島は大きな問題を抱えているが故に受け入れ先が見つからないのだが、宮城・岩手でも同様の問題が解決していない。
政府は地方の受け入れを法令化するという・・・・。
何かが狂っている・・・・・・・。
世界各国から弔電に併せて、日本国民を賛美する声が届いてくる。
本当に賛美される国民なのだろうか・・・・。
確かに市民一人一人は必死にその日を生き抜いている。
これから先、どうなるのか計算もたたない毎日を、漠然としながらも目標を抱いて生きている。
本当に東北の人間は我慢強い、そして打たれ強い。
相手が天災であれば、諦めて前へ進むしかないと頭を切り替える。
しかし、政治家たちはどうだ?
震災以後、最も仕事をしていない人間の代表格のようだ。
口では「復興!復興!」と叫んでおきながら、実際にやっているのは政局の縄張り争いばかり。
我々の声なぞ、耳にも入らない。
地元の政治家でさえそうだ。
自分は民主党も自民党も支持しないが、どちらの政党でもこの難局を乗り越えることはできないと感じる。
皆さん立派な大学を出て、合理的な知識を身に着け理論武装しているようだが、有事には役に立たない。
知識はあっても、知恵がないからだ。
この1年、自分たちは我慢を重ねながら国の動向を見守ってきたが、時間の無駄だったようだ。

地元の復興はほとんど進んでいない。
行政は正直言って何をどうしていいのかいまだに決めあぐねている。
復興は市民と民間の力が十分でなければ、おそらく満足したものにはならないだろう。
行政には想定外に対処できる力はない。
先に言ったように知恵がないからだ。それ故に、新しいものを生み出すセンスというものが、決定的に欠けている。

岩手・宮城では膨大な死者が発生してしまったが、生き残った者たちは、これから地元で再起しようという希望がまだある。
しかし、ここ、福島は絶望だ。
この土壌はおそらく元の美しさを取り戻すことは現実的に不可能であろうと思われる。
「除染!」「除染!」と口をそろえて言うのは安いが、家や道端を高圧ホースで流したくらいでクリアできるほど放射能は安くない。
本当に除染をするならば、福島の山林をすべて伐採するところから始まらなければいけない。
そんなことができるのか?
東北はそのほとんどが山林だ。通学路や公共施設の外壁を洗い流したところで、何が安全なのか?
改めて「原発」というとんでもない怪物を生み出し、この地に設置したことに怒りを覚える。

それでも、原発を続けるという。
再稼働を目指すという。
どれだけの人間を不幸に陥れたか認識しているのだろうか。
形あるものは必ず崩れ去る。人間が生み出したものに、「安心・安全」などというものは現実存在しないことは明白だ。
現代人に、暴走する放射能を防ぐ手段はない。
それでも保身と利益のために続けるという。
昨日の報道ステーション特番で、司会の古館氏と歌手の長淵剛氏が、ブラウン管の前で「反原発」を主張していた。
古館氏は「私は、この場で改めて反原子力を訴える。その結果圧力がかかり、当番組を降板してもそれは本望だ」と言い切っていた。台本なしの本音と信じたいが、原発被災地を見れば、通常の人間ならば、だれしもがそう願うはずだ。

原発立地の双葉郡3市町村には、汚染廃棄物の中間処理施設がつくられるという。
そのとき、双葉郡の町の名前は完全に伝説になってしまう気がしてならない。
これ以上、この地を殺さないでほしいと願うが、中央の耳にはおそらく届かないだろう。
自分は生まれ育ったこの地で眠りたいと思うが、子供達にはこの地を一日も早く離れてもらいたいと願う。
これらの犯罪を犯したものの責任は大きいはずだが誰も責任を取っていない。
犠牲者に哀悼を捧げ、10年後のこの地を想いながら1日が終わっていきました。
(↓ ランキングに参加しています。よろしかったら、ポチッとクリックお願いします。)
