ハンドル周りを一新したぞ!

完全にピンボケですね。どうも自分は写真を撮るのが苦手です。

仕事から帰ってきたら、品々が届いていました。

「ドーン」と大型の段ボールが、玄関先にぶん投げられていました。
この店使うの何回目かな。結構お世話になっています。

・・・・・・ん?。
デザインが店のカタログと違っていますね。
いつの間にか、メーカーでデザインが更新されたようです。
でも、ロゴは間違いなく”EC70"とあります。
若干スタイリッシュになったということでしょうか?
持ってみると、やっぱし軽いですねー。
この軽さは病み付きです。
物はカーボン製ですが、カーボン特有の網目模様はありません。モノトーン調で光沢が抑えられています。

バーの説明書は、日本語記載がなく何が書かれているのか分かりませんでしたが、イラストで分かるようになっていました。
「バーエンドを装着する際の角度に注意!」とあるようです。

(サーファス コネクターSX)
グリップはこれを買いました。↑
以前のサーファスがかなりいい感じだったので、今回もサーファス。
若干エルゴ調になっていますが、以前の品ほど大きくはありません。色はブラック。

(BBB トレイルモンキー バーエンド)
そして、バーエンド。
あんましこだわりがなかったので、安めのアルミ製をチョイス。
大きさも100㎜で、大きすぎずいいのかな?

早速、いつもの玄関先で作業開始。

ピントがおもいっきしずれていますが、エンド部分を覗くと、補強板のようなものが巻かれているようです。
でも、カーボン製であるので、過剰なトルク負荷は厳禁ですね。

さくさくと作業が進みました。
今日は小春日和で、庭先でこんなことやっているのがもったいないような日でしたね。


グリップを取り付けたら、バーエンド部分(約1cm)ほどずらし、エンドを取り付けます。

こんな感じ?
バーエンドの角度は、乗り方によって変わってくるでしょうが、今回は基本通りにステムと同角度にしました。
より前傾姿勢に対応できそうです。

出来上がりました。




やっぱしクワガタですね。
でも、以前より精悍になった感じもしますです。
あとは乗りながら角度などを調整していけばいいでしょう。
重量もそれほど変化していないので良かった。

また新しいバイクになりました。
※ 追伸(写真をみればお分かりのとおり、グリップ左右逆に付けてしまっています・・・・。この後正しい形に直しました・・・。

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表題名のとおり。
またまたポチッてしまった・・・。
決して懐具合が良いわけではないのだが、ついつい・・・。
今回お世話になるメーカーは、これです。
有名どころで、信頼できるメーカーということで。
買ったパーツはこいつ。
(イーストン EC70カーボンバー)
はい、ハンドルバーを更新することにしました。
これまでは、ジャイアント純正のSLカーボンバーを使っていました。
これもかなり軽量で、さしたる不満らしい不満はなかったわけですが、これまで何度か「バタン・バタン」と倒しているうちに、エンド部分にクラックが・・・・・。
ここいらは、やはりカーボン製で、物理的衝撃にはやはり弱いと感じました。
でも、やっぱし、カーボンの軽さやしなやかさを知ってしまうと、なかなかアルミには戻りづらく・・・・。
しかしながら、自分は結構な頻度でバイクを倒すので、そういうやつには不向きなのだが・・・。
そんなわけで、カーボン製で比較的エンド部分が強く、あんまし高価でないもの。
で、こいつに決めました。
こいつは、エンド部分の強化が施されていて、なんと、カーボン製なのにバーエンド装着可能です。
バーを検討する際に考慮した点は次の通り。
1 カーボン製であること。
2 現在のバー長さ(620mm)は肩幅が広い自分にはちょうどいいくらいなので、あまり短くないこと。
3 エンド部分が可能な限り強化されていること。
4 できれば、安いこと。
・・・・・・・・・・です。
併せてこんな品も付けてみようか。
写真ではシルバーですが、カラーリングはブラックをチョイス。
これまであまり前向きにならなかった品ですが、一度体験するにはいいでしょう。
さぁ、どんなふうに仕上がるか?
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決して懐具合が良いわけではないのだが、ついつい・・・。
今回お世話になるメーカーは、これです。

有名どころで、信頼できるメーカーということで。
買ったパーツはこいつ。

(イーストン EC70カーボンバー)
はい、ハンドルバーを更新することにしました。
これまでは、ジャイアント純正のSLカーボンバーを使っていました。
これもかなり軽量で、さしたる不満らしい不満はなかったわけですが、これまで何度か「バタン・バタン」と倒しているうちに、エンド部分にクラックが・・・・・。

ここいらは、やはりカーボン製で、物理的衝撃にはやはり弱いと感じました。
でも、やっぱし、カーボンの軽さやしなやかさを知ってしまうと、なかなかアルミには戻りづらく・・・・。
しかしながら、自分は結構な頻度でバイクを倒すので、そういうやつには不向きなのだが・・・。
そんなわけで、カーボン製で比較的エンド部分が強く、あんまし高価でないもの。
で、こいつに決めました。
こいつは、エンド部分の強化が施されていて、なんと、カーボン製なのにバーエンド装着可能です。
バーを検討する際に考慮した点は次の通り。
1 カーボン製であること。
2 現在のバー長さ(620mm)は肩幅が広い自分にはちょうどいいくらいなので、あまり短くないこと。
3 エンド部分が可能な限り強化されていること。
4 できれば、安いこと。
・・・・・・・・・・です。
併せてこんな品も付けてみようか。

写真ではシルバーですが、カラーリングはブラックをチョイス。
これまであまり前向きにならなかった品ですが、一度体験するにはいいでしょう。

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ブラリと海岸をポタしてみる
時間もあまりない日は、海岸あたりをブラリポタ。
ここは、勿来の漁港周辺(九面漁港というのかな?)
漁船の姿は見えますが、おそらく漁をしているわけではないと思います。
初めて訪れた小さな漁港は、あちこち破壊されたままで、時が止まっているようでした。
休日は国道の走行量がやはり多いですね。
そろそろ、走るのにジャンパーはいらなくなってきました。
手袋も春-夏用に変更だな。
「勿来町検問所」とありますが、検問所のなかには誰もいませんでした。
でも赤色灯があるところをみると、実際、そういう仕事をしている場所なのかな?
奥に火力発電所が見えます。
そういえば、福井の大飯原発動かすそうで・・・・。
あの当時の謙虚な、真摯な反省が・・・・人間は忘れてしまうんだよな・・・。
近くの公園には、モニタリングポストが。
表示値は、0.187マイクロシーベルト。
その周りでは、休日を過ごす親子の姿が。
危険ではないにしても安全な数値でもないわけで・・・。
この町は、幹線道路が複雑につながっています。
場合によっては、こんなガードの下を迷路のように走り抜けることになったりして・・・。
気分があまり乗らないので、適当にして帰ってしまいました。
やっぱし、徹夜の後はダメですね。
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ここは、勿来の漁港周辺(九面漁港というのかな?)

漁船の姿は見えますが、おそらく漁をしているわけではないと思います。
初めて訪れた小さな漁港は、あちこち破壊されたままで、時が止まっているようでした。

休日は国道の走行量がやはり多いですね。
そろそろ、走るのにジャンパーはいらなくなってきました。
手袋も春-夏用に変更だな。

「勿来町検問所」とありますが、検問所のなかには誰もいませんでした。
でも赤色灯があるところをみると、実際、そういう仕事をしている場所なのかな?

奥に火力発電所が見えます。
そういえば、福井の大飯原発動かすそうで・・・・。
あの当時の謙虚な、真摯な反省が・・・・人間は忘れてしまうんだよな・・・。


近くの公園には、モニタリングポストが。
表示値は、0.187マイクロシーベルト。
その周りでは、休日を過ごす親子の姿が。
危険ではないにしても安全な数値でもないわけで・・・。

この町は、幹線道路が複雑につながっています。
場合によっては、こんなガードの下を迷路のように走り抜けることになったりして・・・。
気分があまり乗らないので、適当にして帰ってしまいました。
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茨城への古道・切通し

勿来町の九面(”ここつら”と読みます)地内の勿来海岸に面した国道6号線沿いに、ひっそりとそれは存在します。
これまで、話では聞いていましたが、正直言ってどこが入り口なのか分かりませんでした。
これまで、この辺りは自家用車で通過する程度で、気にも留めなかったわけですが、よく見ると案内板が設置されていました。

写真左手は、勿来海岸です。
シーズンにもなると、関東からの観光客で賑わう場ですが、今年も海開きはおそらく不可能でしょう。
写真奥が茨城方面。
山を越えると関東になります。ここから数百メートル南下します。

「徒歩で約8分」の表示。
車での侵入は、ジープでも不可能な場所でした。

写真に「入口」の表示がありますが、切通しは反対の左側へ入っていきます。
廃業したような民宿の脇を山道へ進んでいきます。

おそらく今では徒歩でも通過する人はいないと思います。
それくらい急斜面の山道です。
草ボーボーかと思っていましたが、整備はされているようでした。
おそらく有志の方によるものでしょう。
昔の人間は、こんな山道を往復していたんですね。

切通しの頂上付近からは、太平洋が顔を覗かせます。
晴れやかな日では、澄んだマリンブルーの色が展開されます。

写真では比較的フラットダートのように見えますが、実際はぬかるみ多数で、走破するのは至難の業です。
でも、こういう場所は個人的に好きだなぁ。



ここには、言い伝えが記された掲示板が設置されています。
写真ではちょい見ずらいのですが、内容的には・・・・・
「勿来切通しは、1600年代に国境の小さな山々にさえぎられていた人や馬の通行を改善しようと山頂部分を切り通したと伝えられる切通しである。
文化3年(1806年)に記された説には、承応年中(1652~1654)に常州関本下野村(現 北茨城市関南町関本下の篠原和泉(しのはらいずみ)が奥州(福島県いわき市側)の商人と申し合わせ、切通し工事の責任者として、切り抜いたと伝えられ、彼の名前をとって和泉坂ともよばれたという。勿来切通しの規模について、平藩の儒者、葛山為篤(かつらやまためあつ)は幅員9尺(約2.7m)、長さ72歩(約131m)、高さ5丈1尺(16m)と「磐城風土記」に記している・
なお、幕末から明治の説には、慶長年中(1596~1615)に新町(下野村の内)の篠原和泉が貫通させ、それを承応年中(1652)の頃に新町の庄屋酒井平左衛門(あるいは半左衛門)が「官」に申請して切通したとも伝えられている。
勿来関は、名古曽、奈古曽、勿越、莫来とも書かれ、平安時代以来の歌枕の地となっており、切通しがつくられてからも、江戸時代の文人でいえば、西山宋因、徳川光圀、伊能忠敬、立原杏所、吉田松陰がこの地を訪れている。
元禄10年(1697)に切通しの上空を望んだ安藤朴扇(はんどうぼくおう)は、青空が細長く見えたと書きとどめている。参勤交代で、平藩が勿来切通しを通行していることから、東北地方の、近世切通しの土木技術史、交通史を考える上での稀少な切通しの一つと考えよう。」
・・・・・・・・・・・・・と記されています。
かの水戸光圀公がこの地を訪れていたとは思いませんでした。
参勤交代道としての主要道路だったようで、稀少価値が大変高い場所のようです。

切通しを抜けると、北茨城市の住宅街へつながります。
でも、今では道路がすっかり整備されているので、いわきへ向かう人でもこの切通しを使う人はいませんね。

いわき市と北茨城市をつなぐ現在のトンネルです。
トンネル工事も大変だったでしょうが、技術や物がない時代に山を切り抜いた人たちは大変な苦労だったでしょう。

ぐるっと山道を廻って、帰ってきました。
こうやって見ると、まだまだ知らない歴史が地元に残っているようで、なかなか楽しい感じです。

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