ブログ「休止?」予告であります。
約8年にわたって、この「凸凹ブログ」を趣味として楽しんできました。
この度、またまた(?)職場が変わることになりまして、これまでのような頻度でのブログ更新は、かなり困難になりそうです。(´・_・`)
他の人のブログを見ていても、突然終了(休止?)になってしまうケースをよく見かけますが、こういった事情もあるのかもしれませんね。
自営業のような職場であれば、あまり関係ないわけでしょうが、悲しきかなサラリーマンです。
でも、「ブログを止める」わけではありませんので、更新できるような時間があれば続けていきたいと思います。(。´・(ェ)・)
自転車も変わらずに乗り続けますよ。
今度の職場は・・・・「山」です。
「海」から「山」へ・・・・・。
さぁ、どうなってしまうのかな?
皆さんも、新年度頑張っていきましょう。(・Д・)ノ
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「7年目の3.11」と2.2.6事件を想う。

今年で7年目を迎えた「3.11」だったわけですが・・・・。
「もう、だめだ、この国・・・・・。」ってな感じです。(。´・(ェ)・)
本来は喪に服すべき日なのでしょうが、国会はそれどころではないようです。
一体何をやっているんでしょう?
心の底から怒りが沸々と湧き上がってきます。
本当に政治家だけは、三流以下の集合体であるとしか言えませんね。
国家公務員も「忖度第一主義」ときています。(「・ω・)「ガオー
昔だったら、こんな政情下において、何が起こっただろうか・・・・と一人勝手な回想に耽ってしまいます。

テレビでは、7年前の惨状が再放送されていました。
思い出すな~。
あの時、どこで何をしていたのかはっきりと覚えていますよ。
おそらく、生涯忘れないだろうな・・・・・・。


知っている顔ぶれもチラホラ出ていました。
みんな必死だったよね。(ちなみに、いわき市の映像です。)

「久之浜町」の火災の映像も・・・・・・・。
この場に確かに自分がいたんだよな・・・・・・・・。何をどうすればいいのか皆目分からなかった・・・。(´・_・`)


あれから7年目の「14時46分」を迎えました。

政府や行政は、ムキになって「復興・復旧」の実績を前面に主張しますが、実態とは大きくかけ離れているのは相変わらずです。
7年目を迎えた被災者のコメントが全てを語っていました。
「道路ができたところで、どうして復興達成といえるのだろうか。」
「公営住宅ができたからといって、衣食住は全て整ったと言えるのだろうか。」
「目に見えるもの以上に大事なものを失ってしまった被災者は何を求めているのだろうか。」
一から十までマニュアルに沿った事業しかできない役人には、遠く届かない心の叫びです。(っω・`。)

「被災者に寄り添った行政を目指す!」の初心はどこへ?


こんな中、自分は歴史的クーデター事件と言われる「2.2.6事件」を思い出します。
時代背景がまさに現在と瓜二つと思えてないりません。
時は昭和初期、金融恐慌により経済が疲弊する中、相次ぐ冷害によって貧しい東北地方は困窮の極みといえる生活を余儀なくされていました。
そんな中、農家の働き手である長男は徴兵され大陸侵攻の「捨て駒」として奪われ、娘は「人身売買」され残された者は、大根をかじって飢えを耐える・・・・そんな毎日でした。
そういった情勢の中、大財閥資本は私的利潤の追求に躍起になり、政治家はこれと結託し自らの利益のみを追求する日々。
これに対し、「皇道派青年将校」たちは、昭和維新決行により、天皇陛下を中心とした真の民主主義国家を建設すべく立ち上がりました。
そして、「尊皇斬奸」を合言葉に、日本の中枢に巣食う寄生虫の排除に武力をもって立ち上がりました。
結果として、昭和天皇の怒りを買い、この決起は失敗に終わったわけですが、彼らの心情は全くもって自分のそれと同一に感じることがあります。
もっとも、亡くなられた遺族の心情も察するにありますが、それ以上に彼らの国を想う気持ちは重かったと感じます。

彼らが目指していた国の現状が「森友忖度」です。(´;ω;`)
彼らの御霊はどう思うでしょうか。

敬愛する「磯部浅一」一等主計です。
もし生きておられたらこう言ったに違いないです。
「何という失政であるのか!君側の寄生虫を直ちに撃滅せよ!」ってね。

安藤大尉もこんな世の中になるとは、よもや思ってもいなかったでしょうな。

栗原中尉も「無念極まる!」と叫びつつけているに違いない。

温情のないデタラメな政治を続けると、かつては「天誅!」の影が常に潜んでいました。(。´・(ェ)・)
今の世の中は、もちろんそういったことは起こるべくもありません。
2.2.6事件自体も、未だに謎に満ちている部分もありますし、将校達がとった行動に対しては、「善し悪し」はっきりと意見が分かれるでしょう。
しかし、思うのは、この国は「平和主義・民主主義」を装ってはいるが、政治の体質は、戦前と何ら変わりがないということです。
本当の「民主主義」とはどういった形をいうのでしょうか?(´・_・`)
7年目の3.11を迎えて、歴史に学ぶ点は多々あると改めて感じてしまうのでした。
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いわき駅前の「そば八」が消える日・・・。

新しい年度を迎えるにあたって、街の中の様子も刻々と変わっていきます。
いわき駅前に長年店を構えていた「そば八」が3月31日をもって、閉店されるという情報を得ました。(;_;)
知る人ぞ知る店ですが、いわき駅構内に立ち食いそばは存在しないので、この駅前の1店舗だったわけですが。
なんか、寂しいですね。(´;ω;`)
自分、この店には高校生の時からお世話になっています。
30年以上になりますか・・・・・。
学生の時は、よく「半ドン」の土曜日の昼食場所でした。
今でも、月に1度は食べに来るくらいの店です。
みせのおばちゃんの話では、何でも地主から3月31日をもって土地契約打切りの通告をされたとか・・・。
その後、新しいテナントが建つような話ですが、複雑ですね~。
また一つ、「昭和」が消えていってしまいますね。(´;ω;`)
自分、「平成」で思い出深いものは何もないので。

最後の「かき揚げそば」になるでしょうか。
もう一度くらいは食べに行こうと思っています。
昔はこれで、200円代でしたが、現在は320円。
それでも、値段以上の内容でしたね。
おばちゃん!またどこかで元気に会おうぜ!(;д;)
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7年目を迎えた「国道6号開通エリア」の実態はどうなのか?
まもなく震災から7年を迎えます。
そろそろ、各マスメディアが恒例の特番を組み始める時期ですね。
「復興のあゆみ」の特集ばかりでしょうが、こんな事実も伝えるべきではないでしょうか?
福島県浜通り地方の大動脈である「国道6号」。
福島第一原発事故により、長らく分断されていましたが、つい近年開通させてしまいました。
このエリアの実態はどのようなものであるのか?(´・_・`)
目を背けたくなりますが、これは紛れもない事実。
車両が横行できる環境ではありません。
福島県民、特に浜通り地方の人間は、常にこういったものと共存していく運命となっています。
一般公衆被曝量の20倍の数値です。(´;ω;`)
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MTBに乗れない日は、「DH映像」ですっきりと!
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